びんごばんごBlog

森羅万象についてびんごばんごが勝手気ままにほざきまくります。
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沖縄の海、玄海の海と官製官依存
Dr.コトー診療所 スペシャル・エディション DVD-BOX 『Dr.コトー診療所』(原作・山田貴敏)という2003年にCX系列で放送されたドラマをご存知だろうか。吉岡秀隆(『北の国から』の純君)が沖縄の離島にある診療所で医者をやっていて、そこの看護師が柴咲コウという医療モノのドラマだ。東京からやってきた医者である五島健助(吉岡秀隆)がふだんは頼りなさ気な人なのだが、ひとたび手術となると並外れた決断力と技術を発揮する。ということで、確かに手術シーンがクライマックスになるのだけれど、手術に至るまでに描かれる島の人々の濃密な共同性に『Dr.コトー診療所』のおもしろさがある。

Dr.コトー診療所2004 DVD BOX 2004年11月に続編として放送された二夜連続ドラマスペシャル『Dr.コトー診療所2004』では、時任三郎演じる原剛利が、医者になりたいという息子の剛洋(富岡涼)を東京の学校へ行かせるために、漁船を売り払い、漁師を辞めて土木作業員になってしまう。漁師であることにだれよりも自信と誇りを持つ人物として描かれていた原が道路工事で働くシーンを見て、重苦しい気分にならずにはいられなかった。というのも、このエピソードは多分に事実に基づいているからだ。「土木が儲かるから」離漁した沖縄の人々の多くは、おそらく原と同様、苦渋に満ちた決断を迫られたのだろう。

森口豁著『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』■沖縄にもこれがある。「基地があるがゆえに基地従属経済や補助金交付金従属経済がある」というだけなら「自発的従属問題」ではない。ところが実際にはそれに留まらない。象徴的な出来事は95年の米兵少女レイプ事件後に起こった。事件で県民感情は激昂した。
■それを鎮めるべく沖縄特措法ができ、膨大な補助金交付金でカネとコンクリがぶち込まれた。鈴木某など中央政治家のポッケが膨らみ、次に沖縄の利権ボスのポッケ、更に利権ボスにぶら下がる土建屋のポッケ、最後に土建屋にぶら下がる島民のポッケが膨らんだ。
■結果、補助金漬けの公共事業なくして経済が回らなくなった。農民のための土地改良で土木が儲かるからと大量の離農者が生まれ、漁民のための港湾改良で土木が儲かるからと大量の離漁者が生まれた。かくしてパトリは空洞化し、アイデンティティーは拡散した。
(MIYADAI.com Blog 解題:森口豁『だれも沖縄を知らない』筑摩書房)

 原子力発電所が建設された地域でも同じようなことが起きる。原発立地によって地域経済は潤う。発電所からの税収の他、電源過疎地域等企業立地促進事業費補助金、原子力発電施設等周辺地域企業立地支援補助金、電源立地地域対策交付金(玄海町 助成制度の紹介 企画課)など多額の補助金・交付金が放射能汚染の危険と隣り合わせで暮らす代償として中央から入ってくるようになるからだ。

 一方で、原発の近隣地域では農水産物の商品価値が著しく低下する。島根原発2号機(中国電力)、浜岡原発4号機(中部電力)、伊方原発3号機(四国電力)とともにプルサーマル計画が推進されている玄海原発3号機のある玄海町では、地元の漁師たちは獲れた魚を他の地区の漁港に水揚げしているという。

 原発の経済的波及効果は確かに大きい。だが、それは地元にとってプラスになるばかりではない。土木など官に依存する仕事は増えるが、その反面、漁業・農業といった自立的な地場産業は衰退を余儀なくされる。

 はたして、これを「豊かになる」と言えるのだろうか?

先日も書いたが、近所にプルサーマルの発電所が出来ようとしている。
車で30分以内だから近所といって良いだろう。
数日前にやっと地元でも動きがあった。
近隣の漁師達が海上デモをやった。
それはそうだろう。
今でも玄海町の(知っている)漁師は魚を他の地区の漁港に水揚げしている。
「玄海町産」では売れないから。
その内に近隣である「唐津産」でも売れなくなるだろう。
産地を偽装すれば済むのか。
すまないだろう。
それが判っているから反対をするのだと信じたい。

唐津市民は無反応。
市会議員も多くはその話題には触れたがらない。
原発=九州電力の地元への経済波及効果が大きいから。
唐津には火力発電所がある。
そこに勤める九電社員、出入業者、関係者は凄い数だろう。
九州電力の社員である市会議員もいるくらいだもの。
地元では発電所は環境問題ではなく経済問題と考えられている。
目の前の金欲しさに子孫の安全を売り渡そうとしているのである。

漁師は動き始めた。
百姓はどうなのか。
「唐津産」では売れなくなる事に気づいていないのだろうか。
「東海村」「六箇所村」は皆が知っている。
そんな産地表示がついた魚介農産物を買う人がいるか。
その内に「唐津産」もそんなブランドになる。
そうなって慌てて反対して口封じのお涙金を貰うのか。
よく考えて欲しい。
福岡の市民団体でさえ反対運動をしているのに、唐津の市民団体は何をしている。
賛成なのかい。
(オバカの独り言「プルサーマル」2005年9月28日)

 財務省サイトにある「財務大臣になって予算を作ろう!」というオンラインゲームをやってみると、国の歳出で地方交付税交付金が大きな割合を占めていることに気づかされる。「国土の均衡ある発展」の名のもとに地方財政の中央依存を助長してきた結果、地方の自立的な産業が衰退し、地方経済は官に依存しなくては成り立たなくなってしまった。これと同時に、財政を中央に依存しているために地方自治体の財政規律が機能しなくなり、国と地方の借金を1000兆円にまで膨らませてしまった。

 財政を健全化するためには、単純な歳出削減と増税だけではなく、地方の中央依存を断ち切り、自立型経済構造を構築していくかなくてはならないはずだ。そのために必要なのは地方に対する自立支援だ。

 だが、義務教育費国庫負担金の削減は地方の自立支援になるだろうか? 確かに、財源と権限を国が地方自治体に移譲して地方分権を推進していくべきだろう。しかし、義務教育費を地方が負担するようになれば、人材育成における大都市部と地方の格差が拡大し、地方の自立がますます困難になる。また機会均等を支えるためには、その基盤となる義務教育について、国が責任を持ってその費用を負担していかなくてはならない。

 『Dr.コトー診療所2004』で、原剛洋は生まれ育った島を愛するがゆえに、コトーのような医者になりたいと志した。息子の強い願いを真摯に受け止めた原剛利は、息子に漁師を継がせることを断念するだけではなく、剛洋を東京の学校へ行かせるため離漁して――「俺の一番大切なものを手放し」て――土木作業員になる。なんともやりきれない話だ。これはもちろんフィクションだが、現在の日本を端的に表した寓話だと感じるのは、びんごばんごだけではないだろう。
| 核もんだい | 00:00 | comments(16) | trackbacks(8) |
平蔵を以って原発を制す
 資源小国であるわが国にとって、エネルギー安定供給、地球温暖化防止等の観点から、原子力発電の重要性は言うまでもなく、ウランの利用効率を飛躍的に高めることになる核燃料サイクルの確立は、わが国原子力政策の基本をなすものです。このためわが党としては、高速増殖原型炉「もんじゅ」を中心とした核燃料サイクル技術の研究開発を推進します。
(自民党重点政策2006)

東京原発 エネルギー事情から原子力発電が言うまでもなく重要なのであれば、都心部の近く(例えばお台場)にこそ原発を建設すべきだ。何もわざわざ都心近くに原発を建てることもないと思うかもしれない。だが、電力の大消費地から遠く離れた地域に原発を立地していては、いたずらに送配電ロスが大きくなり極めて非効率的だ。また、公共投資の地方偏重を修正し、都市インフラ整備を推進するという観点からも都内に原発を建設することが望ましい。地盤が強固ではないといった理由から首都圏での原発立地が困難であるなら、脱原子力政策を指向し、電力分野についても地方へのバラマキを排して人口集中地域に投資を重点配分していくべきだろう。

 元来、電気事業は地域分業に向いていない。というのも、送配電の過程で電線の抵抗などのために電気の一部は熱となって失われてしまうからだ。特定の地域に発電所を集中的に立地するのではなく、電力を消費する場所の近くで発電する方が送電ロスを削減できて効率的だ。
 
 現在、国内で53基の商用原発が運転されている(2004年度末)。各都道府県に1基ずつ立地しても余る数の原子力発電所がある。だが、実際には「強固な地盤を有している」「冷却水(海水)が得やすい」「広い敷地を確保できる」といった立地選定条件から、原子力発電所は福島県福井県などに集中している。県内総生産でトップクラスにある東京都、大阪府、愛知県、神奈川県に原発はない。原子力発電は発電電力量の26%(一次エネルギー供給の14.3%)を占め、1日又は年間を通じて常に必要とされる需要のベース部分をまかなう「ベース供給力」の役割をはたしているが、このように地域的な需給の不均衡が存在する。

 電気事業における基本的なお金の流れを思い起こしてみよう。大都市部で徴収した料金・税金を地方に投資して、原子力発電所、ウラン濃縮工場再処理工場などを建設し、原発が立地する地元の経済は交付金や原発からの税収に依存している。大都市部で徴収した料金・税金を地方にばらまく構造は何かと似ている。そう、このビジネスモデルは高速道路と基本的に同じだ。さて、原子力利用、核燃料サイクルの確立が推進されるのは、安定供給や経済性からというよりも、大都市部から地方への資金配分に官僚・政治家が関与する余地が大きく、うまみのある利権になっているからではないのか?

 原子力政策を聖域化しないで、電気事業においても地方偏重のバラマキ投資をやめ、電力の大消費地に資金を重点配分していくべきだろう。このためには、原子力政策大綱を見直し、たとえ十年、二十年がかりでも、バイオマスなどの再生可能エネルギーに一次エネルギー供給源を転換していく必要がある。

竹中平蔵著『ソフト・パワー経済―21世紀日本の見取り図』 われわれは打ち出の小槌を持っているわけではありませんから、資源を将来のために有効に使うということであるならば、人口減少社会の中での資源配分を変えざるを得ない。そうすると、人口集中地域に、もう少し投資を配分するという発想はごく自然に出てくることだと思います。
 国土の均衡ある発展の名のもとに、地方に対する、どちらかというとばらまき型の投資が結果的に増えてしまったということです。その結果、日本の都市が疲弊して、経済全体が停滞してしまいました。大不況と言われる状況の中でも、都市の高速道路はどこも渋滞しています。都市インフラが圧倒的に不足しているという状況を、いつまでも放置することはできないのです。
(竹中平蔵著『ソフト・パワー経済』PHP研究所 1999年, pp.126-127)

 地域で消費する電力を地元で発電する自立型経済構造を構築していくことによって、大都市部、地方とも、エネルギー政策に地域住民の声を反映しやすくなる。原子力施設が立地する地方自治体には国から電源立地地域対策交付金が交付されている。早ければ2006年度以降、トラブルなどで停止した原発の安全性を国が確認した後も自治体の判断で再稼働させない場合はこの交付金が停止される(読売新聞2005年9月28日)。これでは、カネが欲しければ多少の危険には目をつぶれと原発の運転を地方に強要しているも同然だ。また、原発で地域経済が潤うという恩恵の裏には、採算の取れる範囲内でしか安全対策が行われないという現実があることを忘れてはならないだろう。たとえ近隣に原発のない都市部に住んでいても、電力を消費する営みが「何にどんな負荷をかけているのか」思いをめぐらせ、エネルギー政策のあり方を問い直してみてはどうだろうか。

 2002年の一次エネルギー供給における再生可能エネルギー(バイオマス、地熱、太陽光・太陽熱、風力)のシェアを見ると、日本(2.1%)はスウェーデン(16.3%)、デンマーク(11.9%)に大きく水をあけられ、米国(3.3%)にも遅れをとっている。再生可能エネルギー利用を積極的に推進していかないと、科学技術立国としての日本の将来も危ういかもしれない。核燃料サイクルを確立しても、ウラン濃縮工場や使用済燃料再処理工場を東南アジア、南米、アフリカなどに建てまくるわけにもいかないし。
| 核もんだい | 19:52 | comments(11) | trackbacks(14) |
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